笑う黒犬の憂鬱

妻をなくした黒犬が這い回る日常を綴っています

ススワタリ

尊敬する諸先輩方から常々「気遣いができる人間になれ」と言われて働いてきた。


あ、仕事の話だ。

僕の職業は某教育機関のサービス業。

この仕事に「気遣い」は不可欠。


いろいろな状況の子どもがいて、いろいろな状況の家庭がある。


そういう子どもたちや家庭を「どうしようもない」と切り捨てるのか、状況や気持ちを推し量って気遣って動くのか。


前者のやり方は、今の時代通用しない。

そんなことされたら、我が家なんて真っ先に切り捨てられてしまう。それは困る。

これからはそういう時代なのだ。

そう勝手に信じて働いている。


僕は困った人の味方なのだ。







ただ、もう一つ。

最近気がついたことがある。


それは、あくまでも対子ども&保護者に関する対応であって、組織の中での行き過ぎた「気遣い」は時にマイナスに働く。




「千と千尋の神隠し」のあるシーンを思い出してほしい。石炭を運ぶススワタリが転んで、それを千尋が助けるシーンだ。


転んだススワタリを「気遣い」、運んでいた石炭を千尋が代わりに窯に入れると、まわりのススワタリたちは一斉に仕事をやめた。


誰かを「気遣い」自分からした仕事は、いつの間にか自分の仕事になるのだ。そうやって仕事は無限に増えていく。


誰だって重い石炭を毎日運びたくなんかない。

楽して生きて行きたい。


でも、石炭を運ぶのが仕事なのだ。

それを放棄してどうする?

誰かに任せてどうする?


僕は、僕にしか運べない石炭を今日も運ぶ。


そして誰かが落とした石炭を、誰にも分からないように窯に入れる。


そしてできるだけ早く帰って、子どもたちにごはんを作る。


僕は困った人の味方なのだ。

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